9月, 2025年

開拓団を受け入れた兵三郎の写真を見つけた

2025-09-04

小林よしおさん所持→佐藤貢さん加工①
先日、市議の新人の方たちとの会合の時、『風雪と共に』の映像を見ました。
丸森の村長さんは写真があり、駒の湯の後に名前が記述され、駒の湯の人の様でした。
駒の湯の湯主の菅原兵三郎は写真がなく、駒の湯の映像は当時物置になった倉庫でした。
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駒の湯を経営し、鉱泉地を買取った文字村長だった菅原兵三郎は
現湯守の曾祖父にあたりますが、息子の兵市が県職員を辞め、
満州に渡り、戦後、帰国できなかったことから、線香つけに来た、
丸森の村長八島考二氏から引揚者を駒の湯に置くことを頼まれます。
シベリア抑留から帰国した人も含め開拓団員と共同生活を始めた、
湯守の母は19歳、先代の孝は24歳、孝の実父や親戚も一緒に手伝いました。
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山が観光地として稼ぐ場所になったことで、細倉鉱山の山荘、
栗駒町、栗電や里の商店が栗駒山荘など宿泊施設を建て、駒の湯温泉郷と呼ばれました。
国定公園になるためにキャンプ場が必要で、駒の湯が土地を貸したので
駒の湯キャンプ場と呼ばれ、冬はスキー場になったこともあります。
中央コースなどの登山道などの整備などやいわかがみ平までの道ができ、
いこいの村栗駒など大型宿泊施設ができていきました。
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今、分校の記念碑を建てようと写真を探していて見つけた兵三郎さん(左)。
右に一緒にいるのは、開拓団家族…かわいい子どもたちももう還暦過ぎ…
……

開湯400年 宮城栗駒 日帰り処 駒の湯温泉
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