9月, 2025年

9月も終わり、一日晴れ、寒暖差が激しいです。

2025-09-30

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あれほど暑かったのに、朝晩は肌寒さを感じるようになってきました。
里に下りると、稲刈りも進んできています。
9月末になって、秋も進んできているようで、山頂の紅葉は始まってきています。
10月3日から山頂への道路が規制され、4日からはシャトルバスが出ます。
秋は来るんだなあと思いながら…地区の作業以外は薪の準備に追われています。
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早く穏やかな平和な日常が訪れますように…

記念碑の場所はすっきり、きれいになりました

2025-09-27

作業前の様子
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どのような記念碑が出来上がるでしょう…
今日も作業してきました。
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ずいぶんすっきり。
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大変でしたが、頑張った甲斐がありました。お疲れさまでした。

分校記念碑を建てるために作業をしましたが…

2025-09-26

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記念碑を建てる場所に同級生が3人集まって作業をすると言うので、
記録のための写真を撮りに行きましたが、作業を手伝うことに…
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午前中でダウンしたら、皆は一日仕事になったようです。
皆は疲れてしばらくしない…とのこと。お疲れ様です。
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湯守もダウンしながらも、片付けをしなければならない様子…
任せっきりの人たちがほとんどで…困ったもんだ…
毎日の様に地区のことで駆け回っているから…どうしたものか…
でも、同級生たちとの作業だったので、頑張れました。

役所に行っている間に薪運び…感謝です

2025-09-26

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最近、記念碑のことなど地区の事で役所に行くことが多いです。
同級生の信一さんは里に住んでいるので、山よりは近いものの、
打ち合わせなどで山に来ることも多く、最近は種まきしたいのに…
と言いつつ、薪作業をしたい、湯守と一緒に役所や分校跡に駆けつけます。
今まで、湯守だけの苦労だったので、お互いがわかるのはいいけれど、
でも、とにかくお疲れ様です。
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その間、塚ちゃんと利くんとで先日切った薪を運んでくれました。
ありがとうございました。助かりました。感謝。

雷注意報が出ています

2025-09-18

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朝から雨が強く外作業ができない…
昨日は天気が良かったものの、記念碑の事で役所に行き、作業できず…
19日は天気が良くなりそうだが…キャンプ場のことで議会傍聴に行く予定…
地区の農家さんは天気が良ければ、農作業が忙しい時期…
観光業は天気がいいと秋の行楽のシーズン中で休めない…
湯守も薪作業をしたいのだが、地区の人が議会を傍聴に集まれると思えず…
とにかく、明日の議会傍聴には行くしかない…
手の空いている人が来てくれるといいのだが…
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今日の雨で被害が出ませんように…
早く穏やかな平和な日常が訪れますように…

木こりを手伝ってもらいました

2025-09-12

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今日は自然学校の塚ちゃんと一緒に木こりしました。
お疲れ様でした。
普段は湯守一人の作業ですが、木こりは危険もあるので、
一緒にいてもらえるだけでも助かります。
その上、大きなチェーンソーでの作業は塚ちゃんならでは。
地区の先輩、大事な木を有難うございました。
感謝です。

ブラシなどの差し入れ感謝です

2025-09-06

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雨上がり、晴れの予報ですが、濃霧注意報が出ています。
最近涼しかったけれど、今日は気温が上がるようで、寒暖差に注意が必要です。
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先日来てくれた応援団員がtakemaさんが行ったイベントを喜んでくれ
その手伝いに来た、昔掃除ブラシいっぱい寄付してくれた人を知っていて、
ブラシがだめになってきたので代わりを探したが、見つからないと
言ったら、いろいろ送ってくださいました。うれしかったです。
今年もたくさんの被災があり、忘れられていく一方ですが、
今でも忘れずにいて、応援してくれる人がいる…本当に有難いです。
400年のお湯とはいえ、被災して小さな湯小屋ができることは
与えられた場所で当たり前のことをやり、同じ思いの人が増えないよう祈るだけ…
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早く穏やかな平和な日常が訪れますように…

開拓団を受け入れた兵三郎の写真を見つけた

2025-09-04

小林よしおさん所持→佐藤貢さん加工①
先日、市議の新人の方たちとの会合の時、『風雪と共に』の映像を見ました。
丸森の村長さんは写真があり、駒の湯の後に名前が記述され、駒の湯の人の様でした。
駒の湯の湯主の菅原兵三郎は写真がなく、駒の湯の映像は当時物置になった倉庫でした。
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駒の湯を経営し、鉱泉地を買取った文字村長だった菅原兵三郎は
現湯守の曾祖父にあたりますが、息子の兵市が県職員を辞め、
満州に渡り、戦後、帰国できなかったことから、線香つけに来た、
丸森の村長八島考二氏から引揚者を駒の湯に置くことを頼まれます。
シベリア抑留から帰国した人も含め開拓団員と共同生活を始めた、
湯守の母は19歳、先代の孝は24歳、孝の実父や親戚も一緒に手伝いました。
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山が観光地として稼ぐ場所になったことで、細倉鉱山の山荘、
栗駒町、栗電や里の商店が栗駒山荘など宿泊施設を建て、駒の湯温泉郷と呼ばれました。
国定公園になるためにキャンプ場が必要で、駒の湯が土地を貸したので
駒の湯キャンプ場と呼ばれ、冬はスキー場になったこともあります。
中央コースなどの登山道などの整備などやいわかがみ平までの道ができ、
いこいの村栗駒など大型宿泊施設ができていきました。
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今、分校の記念碑を建てようと写真を探していて見つけた兵三郎さん(左)。
右に一緒にいるのは、開拓団家族…かわいい子どもたちももう還暦過ぎ…
……

開湯400年 宮城栗駒 日帰り処 駒の湯温泉
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