生まれも親も選べない…
都市部で生まれれば、生まれた所は再開発で全く別物…
引越が多く、幼馴染とのつながりはない…
湯守は家族のため、山で家業を継ぐしかなかった…
生まれた場所は見る影もないけれど、幼馴染は健在で、
父親の葬儀の時は同級生が助けてくれ安心して送り出しができた…
駒の湯や開拓団のことを知るほどに、歴史に翻弄された人々を思う…
県職員として満州開拓に人を出したことで一緒に行くことになり、
帰国できなかった湯守の祖父は、娘二人に迎えに来るから…と言いながら…
娘二人は女学校を出、友人たちは学校の先生や看護師になる中、
長女は20歳前後で結婚し、山の温泉に行き、次女は里の農家を継いだ…
丸森の村長から満州開拓の引揚者を引き受けるよう頼まれ、
娘と結婚した里の若者は、皆の食料を上げるため里に何度往復しただろう…
駒の湯は開拓団よりは建物があり、お湯がある分、楽をしているように思われ、
開拓団員に名前が刻まれながら組合員を外されてもなにもいえなかった。
受け入れ先としての役目も果たし、観光地としての役割も果たしたはずが…
一瞬で失われると、民間だからと言う理由で、自力での再建を求められた…
山に来た苦労は半端ではなく、駒の湯の水車の製材機で製材した生木で
家を建て、共同生活をしながら、炭焼きをし、集落を形成してきた…
人が集まり、子どもが増え、当然、学校の話が出る…
しかし、学校建設には多額の費用が掛かり、水害でその費用が賄えない…
農村でたくさんの兄弟がいて、生きていくため開拓地に来た人たちの子ども…
選べないはずの子どもたちが苦労を重ねて、卒業した学校だったが…
2008年6月14日土曜だったので授業はなかっただろうが、学校の被害もなかったが…
住民全員山を下りたので生活は激変…子どもたちも分校に通えない…
様々な歴史があって、苦労があっても、閉校になってとうとう解体…
湯守の同級生たちが中心となってお別れ会をすることに…
事務作業は家で個々にしていたので、それぞれ家族が手伝うことに…
プリンターが悲鳴を上げたのでネット印刷にすることになったが、
名札は簡単にできるであろう方法が思いつかず、一人ずつ入力した…
湯守はほとんどの人がわかる。
駒の湯のことも湯守のことも本当はよく知らなかった…
被災して困惑、混乱状態を見て、身の程知らずに何かできると思ってきた…
小1の時クラスが50人、10組あり、6学年…先生だけでもたくさんいた…
小2で転校したから校長先生と担任と隣の先生だけしか覚えていない…
それでも校歌を今でも歌えるほど、好きな学校だった…
転校した学校はクラスが2クラスしかなく、転校性も少なく珍しがられた…
言葉が違っていて、いじめられたけど、親に言えるはずもなく…
学校にいい思い出ばかりあるわけではないものだが、なくなるとなれば寂しいもの…
そういうわけで、関係ないのに、ついつい、まとめの冊子を作りたいと言ってしまった…
なくなってしまったらもう戻せない…思い出はあっても記録はなければ消えてしまう…
ここに来た時、湯守の小学校の先生がお祝いに来てくれた……
本当にうれしかった…先生のお墓は駒の湯発見者のお墓の隣…不思議な縁を感じる…