戦後、満州から戻れなかった長男の弔いに来てくれた
丸森の八島村長から満州からの引揚者の受け入れを要請され、
文字村長もした曾祖父、菅原兵三郎が駒の湯で受け入れた。
その後、開拓団の集落は広がり、耕英小中学校は一時期、分校ではない。
給食もあり、180名近くの子どもたちが卒業したそうだ。
集落になったゆえに電気や水道が導入され、今に至る…
今は観光地と思われている耕英の開拓団の歴史ももっと知ってほしいと、
駒の湯のむかしの様子をジオラマにしていただいた。
是非、戦前戦後の山の暮らしを知ってもらえたらと願っています。
昭和41年、電気導入記念に耕英地区の皆さん
2世、3世の時代になり、人数も減り、記憶が薄れていく前に…
何とかしたいです。