23人の死者・行方不明者を出した岩手・宮城内陸地震は14日、2008年の発生から14年となる。
宮城県栗原市栗駒耕英で日帰り温浴施設「駒の湯温泉」を営む菅原昭夫さんは、全壊した温泉施設の再開を共に目指し、
今年1月に99歳で亡くなった父、孝さんの思いを胸に、湯守を続ける。
震度6強の激震で山の中の温泉宿に土石流が押し寄せ、宿泊客2人と従業員3人、昭夫さんの母=当時(80)=と兄=同(58)=の計7人が犠牲になった。
昭夫さんと孝さんは奇跡的に助かったものの、旅館は崩れ、源泉は土砂の下に埋まった。
あまりの惨劇に被災当初は再建など考えられなかった。前を向けるようになったのは、三回忌に慰霊碑を建立し重苦しい気持ちが少し和らいだ頃。
「ボーリングをすればお湯が出る」。孝さんは源泉の復活を熱望した。
駒の湯は1618年の開湯。孝さんは25歳で婿入りし、半世紀以上にわたって湯を守った。「おふくろと苦労して築き上げたものが一瞬で流され、
悔しかっただろうし、諦めきれなかったのでしょう」。昭夫さんが父親の胸の内を推し量る。
地震から7年後の15年。昭夫さんは地震後に湯が湧き出た別の源泉を使い、跡地の一角で日帰り温泉を始めた。孝さんは2年前に体調を崩し、高齢者施設に入所していた。それでも15、16年に1回ずつ、職員の介助で湯船に漬かることができた。
昭夫さんは「おやじは駒の湯の1番のファンだった。生きているうちに温泉に入れてあげられたのは良かった」と振り返る。孝さんは今年1月21日、老衰に伴う心不全で息を引き取った。
新型コロナウイルス感染拡大で、温浴施設はこの2年、営業自粛を強いられた。5月に始まった今シーズンの営業は感染予防のため、常連客だけの予約を受け付ける。
被災直後は一面泥だらけだった温泉の周囲に少しずつ緑が戻ってきた。10年前からボランティアの協力でミズナラやブナなど栗駒山麓に自生する広葉樹の苗を植えている。
昭夫さんは「地震前は森の中にたたずむ旅館として客を迎えていた。気軽に来てもらえる時に向け、手入れをして少しでも以前の姿に近づけたい」と話す。
亡父の思い胸に湯守る 全壊・再建の栗原「駒の湯温泉」 岩手・宮城内陸地震14年 | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS (kahoku.news)