今年は営業できない分、周辺の環境整備をしています。
被災して12年、たった一人でやってきたことを、その分歳をとっても
湯守が同じようにやり続けていることに感心してしまいます。
田舎の一軒家に都会のテレビが訪ねるという番組で見ると、
誰も気が付かないところで、その土地を守る人たちがいて、
土地や景観、水資源は守られるのだということを知りますが、
湯守はその一人であり、お金にならないけれど、必要な仕事をしています。
温泉の復活を見てきたから、一から始める苦労はわかるけれど、
昔は重機もなく、水路を整備し、道を作り、家も建てていて、
今の自分たちはその恩恵をその苦労を知らずに手に入れられるから、
さまざまな人の手で暮らしは守られているのだとやっと知ることになったけれど…
都会にいた時はそんなことも知らずに自活できていると思っていた…
お金にもならないこういう作業の上に成り立つ山の温泉に対して、
「狭い」「何もない」「ぬるい」にもかかわらず500円もとるなんて…となれば、
看板に「シャワーやせっけんなどはない、狭い、ぬるい」と書くことになってしまう…
お客さんには「そんなこと書かなくても」と言ってもらいえるけれど、
コロナ禍では、お客さんとの触れ合いはなく、ネットの言葉の刃だけが突き刺さる…
才能がありながら、書き込みで追い詰められて自死した有名人と同じように
ネットで書かれた言葉に傷つき、追い詰められてしまう…
どんな苦労も「ぬるくて気持ちいい」「この泉質が必要」と言われるから頑張れる。
見えない作業があって、暮らしが成り立つのだと、大自然の中では感じるけれど…
都会で感じた当たり前の暮らしは誰かの見えない作業の賜物となのだが、
被災地の再建した小さな日帰り温泉に、被災前の温泉旅館と同じ期待感がのしかかる…
湯守の奮闘を応援することが大事と思うから、めげている場合ではなく、
応援してくれている人をつなげて、守ろうと必死にいるのだけれど…
花さんの言葉にあった「それは一番私が思っていたことです」に共鳴してしまう…
山の温泉旅館をやっていたころの話を聞くと、逆に贅沢すぎると思う。
今の状態と昔の写真を亮さんに合成してもらうとこんな感じ…
規模が違いすぎる…家族が必死に働いたお金でリフォームした宿は
もともと小さな湯治宿で、登山客が増える中、高度成長期にこれほどになった。
シャワーも石鹸もあって、400円でできるのは、家族経営の宿泊施設だから…
若いころ聞いたローインパクトというのは、結局は外来の思想だったのか、
家族も失い、傷ついた家族がやっとの思いで再建した日帰りの温泉に対して
「小さい」「狭い」という苦情を傷つきながら受け留める必要があるのか…
先日亡くなった仲良しの先生から「人の気持ちや言葉を取り込みすぎる」
と注意されていたのに、お客さんに会えないと元気が出ない…
コロナ禍で感染症ゆえの分断で、人が傷ついても支え手がないことが不安…
思ったことが簡単に相手に届く時代…気をつけなければ…
才能のある人たちですら、死に追いやってしまう…
温泉の存在を知ってもらい、大事にしてもらいたいと始めたネットも、
気持ちの伝わらない人たちの言葉ほど届き、傷つく…
営業しているときは対面してのお客さんたちが応援してくれているのがわかるけれど、
ネットだけの環境は人の心が見えにくく、届きにくいからいたたまれない…
それでも助けてくれたり、差し入れが届いたりして、勇気づけらる…
震災の傷は大きく、湯守一人では荷が重すぎるし、私一人では支えきれない……
理解者を増やすため…応援しれくれる人を増やすため、発信を続けている…
三回忌の後、やっと自分たちの暮らしの立て直しを始めた頃、
当時温泉を歩いて汲みに来て持ち帰り、家のお風呂に入れてました。
ブルーシート、子どもプールで入ろうとしたが難しく、農業用桶を設置し
父が入った時源泉が残ってくれた有難さを感じつつ、現実に泣きました。
でも、父は喜んでいたので、せめてもの救いでした。
あれから12年…堀を渡るための木も腐るはずです…