なかなかやる気にならずに、いたのですが、
今日は天気が悪い中、作業の人たちが頑張ってくれていたので、
久しぶりに調子の悪いパソコンに向かい頑張りました。
幸田文さんが来られた時、和装で、鼻緒が切れたのを、持っていた手ぬぐいを
さっと割いて付け替えてあげたら、たいそう喜ばれたと父から聞いていました。
読んでみると、後藤さんという方のお名前が見えて、知っている人らしく、
また後日にでも、お話を伺いに行くにしても、
今、早稲田村を覚えている人がいるかどうか…
幸田文さんがどうして来られたのか…と思っていたので、謎が解けました。
一生懸命、山に尽くしてきた駒の湯の人たちのことを覚えている人いなくなるのでしょうか。
自分の名前を残したいのではなく、一生懸命生きてきた、
一生懸命守ったものをそれは何らかの形で残したい…
そう思うのは、だめなことなのでしょうか。
たまたま、残っていた資料で、父の思いを垣間見たように思います。
少し時間がかかりますが、その思いを紐解いて、残したい…